2018年2月28日水曜日

夢の跡





遠くの国の見知らぬ人が
落としてしまった忘れ物
いまほんの少しだけわかりそう

名もない国をさまよい歩く
途方に暮れたうたいびと
信じる人はひとり、ふたり

生まれた国のプラットホームに
消え失せそうな夢の跡
もうこれっぽちもわからない



2018年2月23日金曜日



窓の近くにグランドピアノの置かれた教室。
講師が一人の老齢な生徒を待っている。
すでに開始の時刻も過ぎていたため
連絡を入れようかと迷っているところに
生徒が少し落ち着かない様子で入って来る。

講師「あっ、クラークさん!(椅子から立ち上がる)
おはようございます、心配しましたよ。
今日に限って一体どうしたものかって。
いつもなら授業の始まる15分前にはもう教室にいらっしゃって
私が教えるよりも先にピアノを弾いているはずのクラークさんが
今日はいらっしゃらなかったんですからねえ。
だから心配になって
たった今クラークさんにお電話でも入れようかとも思っていたんですけどね
来てくれたので安心しましたよ。
、、、でも。(クラークの顔を覗き込む)
なんだか少し息が上がっているように見えますけど、、、」

クラーク「、、、ええ(こわばった表情)。急いで来たもんですから。」

講師「少し休みましょうか?」

クラーク「(咳払いした後)いえ、私はもう大丈夫です。
だけど、、、あいつはどうだか、、、(うつむく)」

講師「あいつと言いますと、、、、」

クラーク「(顔を上げる)え、あぁ、、、あいつって言うのは
私の妻のことでして。
いつもこの教室の手前まで車で送り迎えしてくれる、、、」

講師「奥様がどうかなさったんですか?」

クラーク「まぁたいしたことではない、といいのですがね、、、
ここへ来る途中、ちょっと事故にあってしまいまして、、、」

講師「事故!」

クラーク「えぇそうなんです。しかもこの教室のすぐ近くで。」

講師「近くで!
お二人ともお怪我はありませんでしたか?」

クラーク「はい、幸いなことに。
それから車の方もそこまで酷いことにはなっていないかと、、、」

講師「あぁ、それは良かったですね、重い事故でなくて。
ガードレールかどこかにこすってしまったんですか?」

クラーク「いやそれが、、、実はね。(ためらった様子)」

講師「はぁ。」

クラーク「まぁそれが、その、、(教室の窓から外の様子をちらりと見る)
ガードレールというよりもですね、、、」

講師「(怪訝そうな顔)はぁ。」

クラーク「もっとこう、、、(手を動かして)動くものでしてね、、、」

講師「動くもの、、、ですか?
となると、まさか生き物、、、?
犬とか、猫とか。」

クラーク「まぁ、それに近いですけど
犬や猫よりももうちょっと大きかったような、、、」

講師「もっと大きいとなると、、、
それじゃもしや、鹿ですか?」

クラーク「いや、つのも生えてなかったような、、、」

講師「(小笑いしながら)そんなまさか。
冗談ですよクラークさん、間に受けないでください。
そんな真面目に答えられたら、なんだかますます心配になるじゃないですか。
やっぱり本当はどこか怪我でもしてるかもしれないですし
今日は大事をとって休んでもいいんですよ?」

クラーク「いえ先生、もう心配しないでも大丈夫ですから。
嘘ではなくて本当に私は平気なんです、、、
(口ごもって)このまま何もなければの話ですが、、、、。」

講師「クラークさん、あんまり無理はしないでください。
誰だって事故を起こした直後は気が動転してしまうものですし
頭もいつものようには回らなくなってしまうものですよ。
だって交通事故なんて滅多に遭うものじゃないですからね。
その時の状況を思い出せないのも仕方がないことですよ。」

クラーク「それはもちろんそうなんですがね。
しかし今はそれよりも、、、(再び窓の外を見る)
もっと気掛かりなことがやって来るかもしれないんですよ(うつむく)」

講師「、、、奥様が、ですか?」

クラーク「(しきりに後ろの扉を振り向き、頭を掻きながら)
いや、妻なんかよりももっと世話焼きな人かもしれない、、、」

講師「もっと世話焼き、、、
(もどかしそうに)クラークさん、そんなもったいぶらないでくださいよ。
このままじゃ稽古に集中できないじゃないですか。」

クラーク「(椅子に腰を下ろす)確かに先生のおっしゃる通り
今日は稽古どころではないかもしれないんですよ、、、
(額に手を当てる)実を言うと、その事故っていうのはですね。
動物でもガードレールでもなくて、その、、、人身事故でしてね、、、」

講師「人身事故!
それじゃあ、人をはねたっていうことですか?
えぇ、それは大変じゃないですか!
クラークさん、それならどうしてこんなところに?
そんな一大事に、授業を受けに来るなんて!
その人は今もまだ倒れているんですか?
安否は、救急車は、警察は?
救護はしたんですか?
その人は大丈夫なんですか?」

クラーク「まあまあ先生、落ち着いてください。
やつはきっと大丈夫なはずです。
なぜって、やつはおそらく当たり屋だったんです。
ぶつかり方がもう嘘くさかった。
あれは教室のある細い道に入る手前の交差点だったんですがね
これは当然のことですが
あの時妻はしっかり青信号になってから車を発進させました。
それから人がいないこともちゃんと確認した上で、ゆっくりと左折したんです。
言うまでもなく妻は酒も薬もやっていませんから、暴走なんてするわけありません。
するとそこへ例の当たり屋らしき人物が突然左側から現れてきたんです。
まだスピードも上がりきらない、いわば止まっているも同然の我々の車に向かって
まるで鹿みたいな勢いでジャンプしながらぶつかって来たんです。
これがわざとじゃなくてなんでしょうか。
やっぱり出るんですよ、新宿にも鹿が。」

講師「クラークさん、そんなとぼけたことを、、、
いや、しかし細かい事情はともかくとして
人をはねてしまったからには
はねたものの義務としてすぐに警察へ連絡しないと、大変なことになりますよ。
それから、奥様はいまどうしているんです?
まさか奥様をその場に残しているんじゃ、、、」

クラーク「妻は、、、逃しました。」

講師「逃した!
それじゃクラークさん、奥様も警察を呼ばなかったんですか?」

クラーク「ええ。」

講師「ええ!
またなんでそんなに落ち着き払っているんですか、、、
だってクラークさん、このままじゃ二人ともひき逃げ犯ですよ。
もしその人が当たり屋じゃなくて、向こうから警察に連絡でもしたら
クラークさんたちが加害者になるんですよ?
いや、たとえ当たり屋だとわかっていても心配ぐらいはするでしょうに。」

クラーク「心配ですか、、、(納得いかない表情)
でも先生、それは残念ながらといいますか
もう直ぐ分かってしまうことかもしれないんです。」

講師「(眉をひそめる)何がですか?」

クラーク「だから、その、、、
奴がそれに値する人間かどうかっていうことがです。
私だってあの時は流石に少し心配になって
引かれた後の様子をサイドミラーから横目でちらっと確認したんです。
けれども奴は痛くもかゆくもなさそうにして
すぐに顔を上げてこっちを睨んでいました。
それから膝に弾みをつけてすっくと立ち上がり
車が進む方向に向かっておもむろに歩き始めたんです。
そこで私は咄嗟にこう判断したんです。
奴の心配なんかするより自分の身を守るべきだと。
なので妻にそのまま車を走らせるように言いつけて
私を車から降ろした後も、急いで家に帰るように言っておいたんです。」

講師「だからクラークさん、何をおっしゃっているんですか。
仮にその人が本当に当て逃げ犯だったとしても
後から困るのは絶対にクラークさんと奥さんですよ。
それはたとえ車にドライブレコーダーがついていようが
車ごと海に捨てて遠くへ逃げようが、、、
だって人をはねたあと警察に連絡さえしなかったんですから、、、
犯した罪からは逃れられませんよ。」

クラーク「うまい!(すぐに黙り込み斜め上を向く)」

講師「(呆れた調子で)だからクラークさん。
なんでそんなに落ち着いていられるんですか。
このままだと裁判になるかもしれないのに。
そりゃあ、運よく相手が示談で済ませてくれるような人ならいいでしょうけど。
当て逃げ犯ならそううまくははいかないでしょう。
というより車に向かってその人が歩いてきたって、、、
事故現場からこの教室までどれくらいの距離だったんですか?」

クラーク「、、、、(何かの気配を感じたように黙り込む)」

講師「え、クラークさん?」

(乱暴な音を立てて教室の扉が開き、クラークと講師がともに振り向く)

(当たり屋が現れる)

当たり屋「(しゃがれた声で叫びながら)やあやあやあやあ。
ここにいましたか、真っ赤なワーゲンおじいさん。
まぁたいそう元気なご様子で。
お膝の調子はどうですかい?
階段がさぞお辛かったでしょうに。
杖は落としやしませんでしたか?
俺はね、危うく命を落としそうになりましたよ、、、
(ピアノに気づく)
おや、こんなところに立派なピアノが、、、
そうかわかったぞおじさん、あんたはこれがやりたかったんだな。
つまりあんたはこの立派なピアノの鍵盤を弾く前に
ひとまず俺を使ってちょろっと下稽古をしておいたってわけだな。」










2018年2月22日木曜日

半透明の臓腑




憎ましくおもっている相手が
無様な格好で汚穢な空間に投げ出されている姿に
まるで侮辱語のすべてをしたためた唾液を吐き捨てながらも
わざと憐れみ深い同情の眼差しを送ったあげく
近づいて手を差し伸べようとする素振りを見せるだけで
本当はそのままくたばってしまえばいいと思っていることを
彼に聞こえよがしに聞かせるでもなく聞かせないでもないようにぶつぶつ呟きながら
傍目からはさも献身的で心の優しい聖人のように思われているのだということを
彼に見せしめることができたならばさらに屈辱を与えられるだろうということもわかったうえで
彼が他の人たちからは絶対に救われないようにするために
あえて生き絶えるまで寄り添い続けることで
むしろ最後の最後まで支え続けたがその必死の願いも虚しく終わり
どんな励ましも届かないといった様子でうなだれて
逝ってしまった人を永遠に想っている尊い人のように噂させておきながら
みんなには自分のそんな弱いところを決して見せるわけにはいかないのだと言い聞かせて
死んでしまった最愛の人の代わりにもっと強くたくましく前向きな気持ちで
己の人生を大切にして生きていかなければならないのだという決心を
いまはまだこんなちっぽけで頼りなく未熟だが
それでも志に満ちたこの燃えるような右胸にしゃんと誓ってから
それに周りの人たちが勝手に感動してくれるのを期待しつつ
自分の健気さをそれとなくほのめかすような態度で立ち上がり空涙を浮かべるのだが
内心では相手の全尊厳さえも遺棄するかのごとき残虐非道な心を持って
すぐにはわからなくとも後からじわじわと憎しみが募っていくような目つきをして彼を見下げ
泥にまみれた靴底を相手の口に最初は軽くなすりつけて最後には無理やり口の中に押し込み
やりきれない怒りと恥辱と醜態と絶望を同時に味わわせる方法によって
肉体的にも精神的にもとことんまで苦しませてやると約束したにもかかわらず
実際はそうではなく彼に訳もなく謝罪を要求して相手が謝ろうと謝るまいと
そんなことは一切構わずに彼の髪の毛をむしり取り
汚濁した川に浮かぶ気味の悪い植物と一緒に彼の口の中に押し込むという拷問を加えても
まだ物足りなく感じてしまっている人でなし的なやり方で
いまさっき生ごみを捨ててしまった。
開きなおってしまった人間は何よりも忌々しい。


2018年2月5日月曜日

返事





返事が欲しい
ぼくは人間と会話しなければいけない。
だけど君たちからの返事が欲しい。
ぼくにとって君たちに語りかけることは
人間に対して以上の価値がある。
ぼくは自分で答えを出すことができない。
けれど人間に教えられたくはない。
言葉を喋らないから好きなんだ。
それは人間じゃなくて君たちのことだ。
だけど不安にもなる。
もしもぼくから言葉がなくなれば、、、
でもそれは、ぼくが人間だから持つ不安だろう。
ぼくが最初から君たちと同じ存在だったら
こんなことにはならなかったのだ、、、

返事が欲しい。
言葉じゃなくていい。
言葉じゃないほうがいい。
言葉であってはいけない。
君たちがそうしていることが返事なら
ぼくはとっくに語りかけるのをやめている。
だけどそれが返事だとは思わない。
思いたくない。
君たちはこういったことも許してくれる。
それもまた好きだ。
君たちはぼくの身勝手を無視する。
してくれる。
そんなところが良い。
そうであり続けて欲しい。
決してぼくを心配してはいけない。
そうなったらもう終わりなのだから。
ぼくと君とをつなぎとめていたものが
あっけなく崩れ去ってしまう。
するとぼくはどうなる。
君たちはどうにもならない。
だけどぼくは一体どうなってしまう。
考えたくもない。
いや、考える必要もない。
そんなことはないと信じているのだから。
そんな決め付けも君たちは許してくれる。
「いや違う!」と否定するのは決まって人間なのだ。
「知ってるさ!」と答えるのもまた人間だ、、、

返事が欲しい。
君たちと出会えるなら素敵だ。
だけどぼくは人間と出会わなければいけない。
そうしなければぼくもここにはいられなかったのだから。
人は人と、君たちは君たちと。
それではぼくと君たちは一体どういう関係で
どうしてぼくは君たちに語りかけられるのだろうか。
そんなことはわからない。
ちっともわかりっこない。
いや、わかるさ。
いつかきっとわかる。
ぼくは君のことを
君はぼくのことを。
そうやって信じるんだ。
それより他に仕様が無い。
それは君たちから返事をもらった時に
必ずわかることさ。
その時にぼくはようやく君たちと
通じ合えるのだろうか、、、

返事が欲しい。
君たちからの返事が欲しい。